能力があれば仕事なんてさっさと終わる。無能の証拠である残業が最近多くなってしまった。時間内に最大限の力を使って終わらせることを仕事でもトレーニングでも目標としているが、仕事で最近それができなくなってきた。年齢を重ねて問題になってくるのは、今ある知識に頼って仕事をするようになる事だ。
現状維持はすなわち、後退していることを認識せねばならない。自分が現状維持に甘んじている間に、周りは進む。うさぎとかめの話のようにのんびりしていると、次第に置いて行かれる。自転車競技も競争であるが、社会はさらに競争化している。最近自分の能力がかなり低いと感じるようになった。確かに国際的に通用する資格はいくつか保有しているが、どうやら錆び付いているように感じる。
昨日は仕事に終わりが見えなかった。ただ、そんな時には出来るだけさきのことを考えないようにして、今できることを全力でやるようにしている。最近論理学の本を読みふけっている。
ニコマコス論理学という本で岩波文庫から出版されている。この本には一日一日のこの瞬間に熱中せよとある。明日に不安を覚えず、今日という一区切りを生きるとある。じつはこの考え方はデールカーネギーの道は開けるにも同じような(というよりも同一の)一文がある。
紀元前300年頃の哲学者が導いた考え方は現代に置き換えても何ら遜色はない。自分の経験に学ばず、歴史に学ぶ良い例だ。ニコマコス論理学の話に戻ると人類最初の論理学の到達点で、「メソテース(中庸)」に生きよとある。この中庸(ちゅうよう)とは、儒教の中心的概念の一つだ。
古代ギリシャ、儒教、カーネギーの、本にある考え方が共通している点は非常に興味深い。色んな本を読んでいると、ある瞬間突然すべてがつながるような感覚に陥る時がある。100を1にしていく作業だ。
その時その時を瞬間的に生きることは、将来に不安を残すのではないかと考えがちだが、どの先人達もそれらを否定している。むしろ、今できることを毎日熱中して取り組み充実させることこそ、「すでに成し遂げた成果」となると説く。
一生懸命練習していたら、結果が出ていたり、プレゼンの準備を一生懸命練習していたらのめり込んで、プレゼンが成功したりと、「あくまでも結果的に導いてしまう経験」にはその瞬間の積み重ねがある。だから私は今できることを、出来るだけ一生懸命継続して取り組む、そう決めている。
私のほんの小さな経験よりも、歴史や哲学に学ぶ。たまには古典的な本を読み、物思いにふけるのも良いかもしれない。ニコマコス論理は図書館に必ずあるが、もちろん現在でも入手可能だ。私は悩んだことがあればたまに読み返すようにしている。
岩波書店
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