photo: Nobuhiro Toya
ANAニセコクラシック2022が三年ぶりに開催された。前回大会では、115km地点からの登り途中で千切れた。それでも諦めずに走りなんとか粘って井上選手、森本選手に次いで年代別ながらも3位だった。
※表彰台ワイの場違い感。
あれから3年。今大会田崎選手など不在ながらも、蓋を開けてみれば勝負どころで嘔吐と足攣りしながらも生理的限界越えて、首の皮一枚気持ちで粘って付いて行き、石井選手を追う集団になんとか生き残った。
優勝した石井選手を追う追走集団は10人。19-34代が7人で木村選手、マキノ選手、安達選手、キドコロ選手、佐々木選手、フダ選手、田中選手、35-39 1人、40-44は超合金岩島さんと私の2人、45-49高岡さん。
言わずもがな、レジェンド高岡選手、富士ヒルチャンプ佐々木選手、仙人田中選手もいて明らかに自分の場違い感、雲の上の存在の選手たちの中でどうやって生き残るのか。針の先に糸を何本も通すような感覚で最後の登りまで、自分の脚質と相談しながら走った152kmだった。蓋を開けてみれば年代別ながらも優勝できた。自分が一番驚いている。
ざっと書くとこんな感じだけど、記憶が鮮明なうちにまとめようと思う。
準備
二週間ほど前から体調を崩してしまい、体のむくみが取れずイナーメの小嶋さんのアドバイスでリカバリーオイルグリーンとイエローを二週間毎日塗りこんだ。一緒にお灸も欠かさなかった。大会の2日前までまったく体調は良くならず、前日の試走の段階でやっと戻ってきたかな?という感じだった。
辻啓さんが良いことを言っていたんだけど、「体が本番に合わせてスイッチ切っていたのかもしれないね」と。たしかにそうかもしれないなと後から考えてみれば確かにそう思う。
ニセコクラシックは登りが多いため体重も減らした。塩分を控えて、夕食はサラダとナッツのみ。昼と朝は普通に食べた。木曜の6/9に56.3kgまで絞って、48-36時間前のカーボローディング後に金曜日58.4kg、土曜58.2kg、レース当日57.4gといった体重推移。
以前から試していたデキストリンのみでカーボローディングする方法で、人間らしい食事生活を当日まで避けてお米はおろか何もかも取らなかった。金曜日600gのデキストリンを3回に分けて摂取、土曜も同じく600gのデキストリンを摂取1.2kgの白い粉を水に溶かすには同じ量の水が必要で飲むのに苦労した。
ホテルの北海道の料理が食べられないのは苦痛で、イライラするのが抑えられない上に1歳の息子にご飯を与えながら、3歳の娘のいたずらをやり過ごすというオプションも付いてカオスだった。
レース前から当日まで毎日ミトロング6粒飲んでミトコンドリアにも栄養を与え続けた。高いけど、レース前は必ず飲んでる。補給はボトルにクワッドソース系の150gの糖質を2本、同じくジェルで糖質200gを用意した。これはレース時間の4時間で吸収できる上限の1.25倍の500gの糖質だけど、気温が低いからあまり水は飲まないだろうと判断してジェルメインで考えた結果。結局飲んだボトルは1本半で225gとジェル200gで合計425g、人間が吸収できる理論上の最大値60分あたりの上100gx4時間にほど近く、計算通りになった。
これは、3月のチーム練習で繰り返し繰り返し実験して体と相談して導き出してきた結果で、一週間前の松木さんとの2人の練習でも全く同じ補給でシュミレーションした。普段の練習で常にニセコクラシックを想定した時間と登坂時間を考えて、何十回も繰り返していたから補給に関しては微塵も迷わかなった。
準備はこんな感じ。
機材
「とにかく数値上最も速い機材」
で、自転車と海外投資以外お金使うところがないおっさんなので機材は空力性能優先であとは軽いやつで。今年はAEROADとプリンストン買ったのが良かった。これはガンナもずっと使ってるけどやっぱり速いと感じるし、好きな回転と慣性モーメントを感じられるホイール。
- バイク:AEROAD CFR
- ホイール:プリンストンカーボンワークスWAKE6550
- ギア53/39 11-30
- ドライブ:チタンの鎧
- タイヤ:ミシュラン POWER CUP 25/28C
- 空気圧:ミシュラン5.70bar, 5.72bar
- ウエア:サンボルトセパレートワンピース
タイヤはGP5000から新型のPOWER CUPに。ドライブトレインはチタンの鎧を施した。これ、久しぶりにレースで使ったけどやっぱり踏み込むと違う。抵抗が低いのはわからないけど、踏み込んだ時のダイレクト感が増す。ガチっとしていて、ラチェット数が増えた感じに似ている。マージナルゲインですこしでも速く。
長くなったけど、レースレポート。
レースレポート
5時選手招集と出走登録に合わせて逆算していく。3:15に起床3時間前にジェル200gとEAA10gワークアウトブースター14g取る。4:45の1時間30分前にカフェイン 200mgとミトロング x6。ホテルのロビーで羊蹄山の朝日を見ながら、体が回復していることに気づく。朝風呂で足を温めて57.4kg、ジェル飲んで57.6kg、このホテルの体重計は正確だ。
前日に下剤飲んで💩全部出した。これも何時間でお腹が緩くなるか計算しているので寸分の狂いもない。バイクチェックしてホテルに戻る。スタートは第二ウェーブ。これ、年代別でわけられてるけどどうせ混ざる。
スタートは右側を走る。なるべく安全に走りたい。数キロ進んでからスタート。若者に追いついて前方面で走る。序盤から生きのいい若者たちが飛び出すが、長旅と序盤の30分の登りを考えるとここで行くのはまだ速い。ただ、序盤は皆足があるからペースがめちゃくちゃ速く感じた。序盤はオッサンの足が回り始めるのが遅いからほんまやめてほしい。
登り口までは結構なハイペースで進んだな、と思って松木さんに「なんか速くないスカ?」と聞いたら「そうかぁ?」と口も鼻も閉じてた。クッソ楽そうで、心が折れた。雑賀さんも松木さん楽そうですねと。序盤はペースが早いながらも登り区間はL3-4ぐらいで30分ほど。山頂で100mgカフェインを取る。一時間後の勝負どころの登りのためだ。ダウンヒルして平坦区間へ。散発的に上がるも落ち着いて処理。平坦区間に入る。
途中で、ゴローさんが「久しぶり」と声をかけて頂いた。森本さんとも「松木さんの調子どう?」と雑談。こういう凄い選手たちと、選手としては無戦歴に近い私に声をかけて下さるのが単純に嬉しいし、同じレース走れてるのも嬉しいし楽しい。そう考えてしまうから、選手としては向いてないんだろうなといつも思う。
補給所が近づいてきたので安全回避のために反対車線に寄る。二年前は高岡さんが逃げ始めたところだ。集団が活性化するかもしれないので、補給で緩んでいるし先頭付近に楽に移動しておく。平坦区間はローテしつつ進む。まだ相当な数の人数が残っている。強豪選手たち、特に佐々木選手、田中選手、森本選手らは人数を絞りたいだろうし、上げたら木っ端微塵になる。
海が見えたら、ニセコ方面へ戻る。アップダウンはあるものの115km地点から始まる登りに向けて徐々にペースが上がる。114kmから登りたい勢が出てくる。なるべく前で走り、先頭のペースアップに着いていけるように準備。やはりペースは上がる。一人減り、二人減り、気づくともちろん自分が最後尾。。。この位置取りは逆にまずくて、ちぎれる選手もろとも自分も遅れてしまうから前を見ていないと終わる。
詰めるのにかなり力を使いつつ、「ここ耐えるために練習してきた」と何度も考えて、ここで勝負が別れて二度と追いつけなくなると、必死に食らいつく。最後尾なので嘔吐しても迷惑かからなそうだったので二回嘔吐。足攣ってたけど、死にはしないから無視。生理的限界を超えた。右カーブで残れた時は「俺のニセコクラシックこれにて終了」と思ったら確かこの辺で石井選手ら三人が飛び出てペース上がって涙した。
ダウンヒル区間は高岡さんがクッソ速くてライン取りも美しい。残ったメンバーは脚もテクニックもある人ばかり。恐ろしく速いスピード、レース中なのに対向車出てくるとかめっちゃ怖いけどアップダウンをやりすごす。下ってニセコアンヌプリ横のパノラマラインに出る。ここからのコースレイアウトは試走したとおり。農道を抜けると黄金温泉の登りへ。
ここからもペースアップが続く。まっすぐな一本道の上り区間でおそらく、佐々木選手が上げて左右に集団が揺さぶられる。ここで二名がドロップした。またもや自分は最後尾で耐える。というかもはや耐えるしかできない。「作戦:辛いことに耐える」だ。じゃがいも畑がであたりが開けて生き残る。のこり15分とガーミンさんが教えてくれた。
人数は10名。明らかに場違い感ある。何百人もスタートしてその10人に残れただけでも御の字、、、いやここまで残ったらあとはベストリザルト、、、をと思って年齢関係なく総合どれくらいまで行けるのかやれるところまでやってみようと。とは言いつつ脚残っておらず、翻弄されつつのこり5km看板。
ここから先、1kmごとに看板が登場する。35-39 1人、40-44は超合金岩島さんと私の2人、45-49レジェンド高岡さん、残ったおじさん4名と、若者。時代の変わりめを自分の足で残って見れたのは感慨深い。同年代カテゴリの優勝候補、森本さん、松木さん、雑賀さんはなにかトラブったのか見当たらない。少し心配なりつつも、ニセコまで毎週練習してくださった松木さんに良い報告したいのが勝り最後のニセコの登り向かう。
photo: Nobuhiro Toya
10年以上、松木さんと走って練習して頂いてきたけど練習でもレースでも自分が先にゴールしたことはなかった。常に先にいる選手で目標としつつも大きな怪我で大変な苦労を今もされていることを思い出したり、何だかレース中なのにいろいろ考えたりしていると最後の信号が見える。ここまで来ると石井選手の逃げは捕まらず、登り勝負になると全員が腹をくくった雰囲気が流れる。
先行したの三人。高岡さんはこの展開をどうやってさばくのだろうか、と様子をうかがいつつ左コーナーをまがる。残り500m徐々にペースが上がり上りスプリントへ。スプリントと言いつつも出せる力出すしかないのでゴールのバルーンが見えたら踏み倒した。
総合は一桁のはずだけど、よくわからない。優勝した石井選手、前に多分五人いたから総合6位ぐらいか。残念。これがノーミスで今できる自分の、最高到達点だと思った。でも自分でもまだこの位置でここまで走れるんや、とも思った。番手がわからず、チェックアウトの時間もあるし、各カテゴリごちゃまぜで何位かもわからないのでホテルにすぐ戻った。
2分でホテルに戻って娘と風呂入ってると、チームマネージャーからラインが来てて年代別で優勝出来たことを知る。嬉しい半面、最後は力負けしてyoutube見たら総合6位ぐらい?か。複雑な気持ちではあるものの、恥ずかしながら、ロードレースで初優勝(ただし年代別)だった。お風呂で娘に「パパ優勝しちゃった」と言ったら、拍手してくれて「数字のところ登るー」と。
photo: Nobuhiro Toya
11時に風呂を上がって妻と娘と表彰式会場に向かった。
おわりに:ニセコクラシックを終えて
(注:合成写真ではないw すげー人たちと並んじゃった件)
家庭環境と仕事と家庭環境も世界情勢もガラリと変わった今回の大会。それでも、変えなかったのは毎日のトレーニングだ。特段特別なメニューなどしておらず、毎朝SST25minと30minを続けて、火曜日、木曜日はVo2max 30×15を26本か36本、土日はチーム練習、それを繰り返し。もう年齢的に伸びないので、あとは落ちていくフィジカルに歯止めをかける練習をすることに専念している。
2019年から今回の大会までの期間で生活も大きく変わった。仕事も役職がついて、ほとんどエンジニアとしてフロントにでることはなくなった代わりに拘束される時間が増えた。家族も増えた。自分で使える時間が無くなっていく中でトレーニング時間は朝の60分、夜の30分だ。土日の練習は11時までに家に帰って、必ず子供と遊ぶ時間にしている。子どもと過ごすこの時間が今の再優先事項。
その中で、2019年のほうが時間あったしもっと良い結果出せたんじゃね?と思ったが逆に効率化しなかったんだろうな。にしても、表彰台に上がったことはあるけど、JBCFを含めて形はどうあれ優勝したことはなかったから単純に嬉しい。ここまでこれたのも、練習してくれる仲間、特に今年はシマノレーシングのたけはる、松木さん、池ちゃん、井上さんら自分よりも強い人たちが練習してくれたことが大きい。あとは村井さんが前日に「今なら行ける!」って予言みたいなメッセージ送ってきてくれたことも大きかった。
一人だとなかなかつまらなくて、練習でき追い込めなくてですね。
選手としての残りの時間はもうそんなにないんだろうけど、愚直に日々継続、当たり前のことをこれからも毎日少しつづつ積み重ねて行こうと思う。さて、月曜日の今日は北海道を満喫して久しぶりの練習がない日。リフレッシュしてまた一年後にこの場所に戻ってこようと思います。誰一人として、年代別で自分が表彰台上がるとは思ってなかっただろうけど、だからこそ逆に「ITができるんなら、俺もできるんちゃう!?」みたいな勇気とやる気が読者の人に芽生えたのなら、今回の大会で成績を残せた一番の価値だと思います。