数ある自転車関連の本の中で、これほど本の世界の中へ引きずり込まれた記憶は、いまだかつてなかった。本書「エスケープ」は2014年の全日本選手権を題材にした「ただの本」だと思っていた。しかし、その予想は良い意味で大きく裏切られることになる。確かに、ロードレースを題材にした書籍は今までもいつか出版されていた。
「サクリファイス」もロードレースを題材にした書籍だが、あれはよく書かれたフィクションだ。この「エスケープ」にはなんら台本のないロードレースのドラマが克明に描かれていた。2014年のロードレースは佐野淳哉選手が勝ったという事は、ある程度自転車競技に脚を突っ込んでいたのなら知っていることだろう。
ただ本書は、既に勝者が誰なのかネタバレしている事実を知っていたとしても、本書は間違いなく読み手を引き釣りこむ。著者の佐藤 喬氏の文才もさることながら、その情報収集と様々な選手の思惑を上手く絡めた展開は「結果を知っていたとしても」読み手をはらはらしてしまう。
なぜそこまで引きこまれてしまったのだろうか。
これ以上読みたくない・・・
私は本書を読んでいた時にこう思った。「この本はこれ以上読み進めたくない」と。私が本を読む時に「読みたくない」と思う場合は2パターンに分かれる。一つ目は内容がつまらなく、文章の書き方が読み辛い場合。そして二つ目は、面白くてどんどん読み進めてしまい、終わりを迎えたくない場合だ。
子供の頃、楽しい旅行が終わりに近づいてくると決まって寂しくなった経験はないだろうか。本当に面白い本を読んでいる時も同じ感覚に陥るのだ。このまま永遠に文章の中に沈んでいたい、という気が無意識のうちに高まってくるほどに。ただ、どんな楽しいことも終わりは必ずやってくる。
「佐野淳哉選手が2014年の全日本選手権を優勝した」
という「終わり方」が見えているのは当然のことだ。ただ、その終わりがわかっているにも関わらずまだ「読み進めたくない」と思ってしまう。そしてあえて言いたいのだが、著者の佐藤 喬氏は本当にずるい。文章の構成や展開、そしてあっさりと結果を書くのだが、それらを絡めた文章が秀逸極まりない、、、。
まるで映画のエンドロールを見るように、200kmを超える人生にも似た2014年の全日本選手権の幕が降りていく。この時やっと本の世界に居座っていた私は、現実の世界へと引きずり戻される。それと同時に「どうしてもこの本の良さを誰かに伝えたい」と思うようになった。いつも参加している朝練で真っ先に練習仲間たちに伝えた。
買ったかどうかはわからないが、御年50歳になる先輩選手も全日本選手権でTOP10に入った経歴を持つ。たまに二人で練習後に帰る際に昔話をしてくれる。全日本選手権は特種なレースらしい。格式も、挑む選手の意気込みも、他のレースとは異なるという。本書からもその「異質なレース」の模様が克明に描かれている。
改めて思い知らされたが、自転車競技の2位は「負け」なのだ。
私はこの本の良さをどうにか知ってもらいたいと、どうにか広めたいと、本気で思っている。著者の佐藤 喬氏とはまったく接点はないが、この本をまとめてくださった事に感謝したい。緻密な取材と、実名の選手が繰り広げるノンフィクションは間違いなく一個人の私の心に響いた。なお本書には続編が存在している。
読まれた方の感想をよろしければ、是非FBページのコメント欄に残して頂きたい。著者の方に届くかは定かではないが、少なくとも自分の身近なサイクリストは届いて欲しい。あまりプロモーションも、大々的に行われていない本書「エスケープ」であるが、間違いなく最高におすすめできる良書といえる。
2014全日本選手権 男子エリート
辰巳出版
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